前に山登りの事を書きましたが、今回はミスター富士山事、實川欣伸さんが出演、山に興味がなかった僕がこれは凄い!と思う反面、変人だ!と思った人物です。どうしてこんなに富士山に登りたいのか?正直分かりません。そこが知りたい!!
實川欣伸の経歴
生年月日:1943年生まれ 神奈川県生まれ
1970年に法政大学法学部卒で紳士服メーカーや住宅販売、富士サービスを2005年に退社したのち、1985年に富士山初登頂をして以来コツコツと回数を重ねて、2010年に1000回という記録を樹立したそうです。
出典:實川欣伸氏
これの個人的感想
正直、法学部って学歴高いのにもったいないって思う人が多かったっておもうんですが、学歴の高い人って、一つのことにのめり込む傾向にあると思うんですけど、皆さんどう思いますか?
スポンサーリンク
實川氏が何度も富士山に登るようになったきっかけ
初めて實川氏が登ったのは1985年の夏で42歳だったようですが、初めは家族と登っていてこんなに何回も登るようになるとは思ってなかったようです。
当時、働いていた電子部品の製造会社で来ていた、外国人研修生が毎年20名程度きていたようです。ある時、その研修生の一人が富士山に登りたい!といい出したのがきっかけで「僕が連れて行ってあげる」と約束したそうです。
いっぺんに20人連れて行くのは大変だし、危険なので、4~5人ずつ連れて登ったそうです。とういうことで単純に割り算すると年に5~6回登るようになったそうです。 その中のひとりの中国人研修生の女性が、富士登山をした時に、「私の国はどっとでしょうか?」と聞くので、「あっちだよ」というと名前を叫んだり、涙ぐんだりしたのを見て、凄く感動したようです。
60名を連れて登ったのは凄くいい思い出になったようです。
個人的な感想・・・。
60名も連れて登山なんて地獄だ・・・。わがまま言う人もいそうだし、トイレもまちまち・・。よく連れて行ったもんだな~ やっぱり変人だ!と そして凄い!!研修生は尊敬もしてたし頼りにしてたんだろうなー!と安易に想像がつきます。これを読んでくれている皆さんはどう思いますか?
回数だけではない記録
①富士山5連続登頂 ②4つの登山道を一筆書き四登山道連続一筆書き登山
③東京駅初東海道経由富士登頂 など
鉄人にもスランプ
別の人が持っていた(梶房吉さん)が持っていた1672回の登頂回数記録を抜いた時から心身の不調に悩まされたみたいだ。 原因は複数あったようだがその一つに3度失敗したエベレスト登頂で、一回目は雪崩、二回めは地震、三回目はエベレスト南峰まで登ったが凍傷にみまわれ左手の第一関節から先を失ったそうだ。
最近では栗城さんのあの映像が衝撃的だった。
出典:凍傷で指を怪我した栗城氏
やはり指を失ったのが精神的ダメージが大きく富士登山への闘争心もうすれてしまったという。さらに左膝の故障も重なって気力も体力もつきかけたが、七〇代になりながら前人未到の2000回をなんとしてもやり遂げよう!と奮起して現役続行をけついしたみたいだ。
スポンサーリンク
何故???
ここまで身も心もどん底になりながら、この人を再度富士登山に向かわせたのか?そこが今日わかるのだろうか?知りたい!! もう菩薩の境地というっていいほどのこの人が何を語ってくれるのだろう?自分の人生に対して何かプラスになることを言ってくれるのだろうか?凄く興味があります。